長距離GⅠ存続の意義
競馬ライターの水上学です。今回も「水上のニュースレター」をお読みくださりありがとうございます。メルマガ未登録の方は、ぜひ無料での配信登録をお願い致します。
◆吉田照哉氏の距離短縮論
まず、掲載された吉田氏のコメントの内容はどのようなものだったのか。ファン以外、あるいはファン歴の浅い方にも伝わるように補足して紹介します。
●春の天皇賞を現行の3200mから2400mにすべき。そこをステップに英国上半期の中距離最高峰・キングジョージ&クインエリザベス2世S(同じ2400m戦)への挑戦がし易くなるから。
●3200mの天皇賞を勝つと、種牡馬の価値が下がる。3冠最終戦の菊花賞3000mも同じ。中距離競馬全盛の世界の趨勢にそぐわないし、そのうち長距離馬ばかりの白けたレースになるかもしれない。2400mにすれば明らかに天皇賞出走馬のレベルは高くなる。
――以上が主旨であり、弟の吉田勝己氏(ノーザンファーム代表)も同じ意見を持っていると添えられていました。
吉田照哉氏、勝己氏の兄弟は、日本の馬産をここ30年来牽引してきた存在です。平成以降の大半の歴史的名馬をオーナーブリーダー(生産者兼馬主)として送り出してきました。
そんなレジェンド的存在のホースマンが、ステイヤーの祭典である天皇賞春(だけでなく3000mの菊花賞についても)の距離短縮を主張したことに、私は驚くと共に落胆したものです。その理由については後述します。
ファンからもすぐに反応があったのですが、その多くは「天皇賞春は海外のレースの前哨戦としてあるわけではない」「長距離戦ならではの魅力を分かっていない」「長距離戦の種牡馬の価値を下げているのは誰なのか」というようなものでした。
中には「日本の競馬のことよりも、自分たちの生産馬が海外で活躍することや、種牡馬として引退後に海外へ売り込むことしか考えていないのではないか」という辛辣なコメントもあり、これには苦笑するしかありませんでしたが・・・。
◆海外の趨勢を見てみよう
近代競馬のオーセンティックの地である欧州では、本来は長距離戦に集中したレース体系を敷いていました。世界最古のクラシックレースである英セントレジャー(日本では菊花賞にあたる)はダービーよりも前の1776年に2810mで創設されています。また英国ではアスコット金杯4010mが、格調高い人気レースとして伝統を誇っていました。
しかし、長距離戦に集約した馬づくりが続いた結果、次第に馬の能力の低下が叫ばれるようになったり、単調なレースが増えてファンに飽きられたりしたこと、そして欧州とは逆に短距離から2000ⅿにレースが集中している北米競馬の血が入ってきて、欧州の血統とミックスした結果、スピード面を兼備した馬の活躍が目立ってきたことなどから、欧州では長距離戦見直しの機運が1980年代中盤から高まってきました。
さらに、米国以外にも欧州との棲み分けから短いところへ軸足を置いた番組編成をしている新興競馬施行国が増えてきて、欧州の経済低下による競馬人気の停滞も相まって、それらの国々へ馬を売る必要性が増してきたこともあり、現役時の戦績から「スタミナの要素が強い馬」という印象を与えてしまうと、種牡馬入り後に産駒たちが売れないという経済的現実にも突き当たりました。
こうなると、春にクラシックを勝った馬でも3冠目のセントレジャーには出走しない例が増え(凱旋門賞と施行時期が近いことも大きい)、その権威は失墜。かろうじてGⅠのグレードは保たれ、距離もそのままではありますが、現在は国際的にもマイナーレースという認識がされています。
ただ、イギリスでは先のアスコット金杯、グッドウッドC(3200m)、ドンカスターC(3600m)が長距離3冠という位置づけでのレース体系が成立しており、長距離血統の保存という姿勢は保っています。価値は下がっても疎かにはしていない、というところでしょうか。
フランスではセントレジャーにあたる「ロワイヤルオーク賞」、そしてアイルランドのセントレジャーは、英国同様3冠レースとしての意義が消えたことから、クラシックレースとしての扱いを外し、古馬にも開放されました。ただ距離は3000m前後をキープ。100m前後の変更はあるものの大きく短縮してはおらず、こちらも長距離レースの存在自体は否定していません。
ただフランスでは、2007年になんとダービーを2400mから2100mに短縮。アメリカでは、3冠目のベルモントS(2400m)を短縮するプランが出ています。オセアニア圏では、レースの大半は2000ⅿ以下で施行されていますが、3200mのメルボルンカップは現地競馬最大の人気を誇り、施行日は祝日になっているほどです。
◆日本の距離体系の変化
日本の競馬は、もともと英国に範を取ってレース体系を組織しました。必然的に長距離重視であり、菊花賞も創設時から一貫して3000m。また1983年までは、年2回の天皇賞も共に3200mで施行されていました。
しかし、海外遠征での低迷が長年続いたことと、競馬の国際化の機運から「世界に通じる強い馬づくり」がスローガンとなり、1984年に競馬体系の大改革が実現。1600m以下のGⅠが次々と創設され、東京で行われる天皇賞秋が2000ⅿに大幅短縮。これまでスタミナ偏重だった日本競馬が大きく動きます。その結果、2000ⅿ以下に適した血が導入されて多様な馬づくりが進み、国際舞台での結果も出るようになって、今や総合的にみて世界に冠たる存在になっているわけです。
この流れに乗ってか、日本競馬をさらに推し進めるために、長距離戦を廃してその分をマイルから2000mに集中させ、2400m前後を最長距離とする体系を組むべきと提唱する人たちが競馬マスコミ内に現れました。確かに競馬のスピード化が日本競馬のレベルアップに寄与したわけですが、だからといってそこへ振り切ってしまうと、血の多様性が失われることになり、以前のように馬質の沈下が起こるのではないか。筆者の記事を以前から媒体でお読みくださっている奇特な方々なら覚えておられるかもしれませんが、このように定期的に湧いてくる?「長距離レース軽視&廃止論」に対してその都度、徹底的に噛みついてきたものでした。
その後、ディープインパクトやキタサンブラックのように3200m戦でも強い競馬を見せつけた中距離馬たちが種牡馬として大成功してきた事実から、「距離における番組編成の多様化が、強い馬づくりの根幹である」という意見(もちろんそれを提唱しているのは筆者だけではない)が競馬界の常識として定着したと思っていたのですが、そこに今回のような発言があった・・・ということなのです。
そもそも、日本競馬の長距離飽和現象を打破して多様化の先鞭を付けたのは、吉田照哉・勝己兄弟の父である故・吉田善哉氏だったと筆者は思っています。その慧眼をもってまずカナダの一流半競走馬に過ぎなかったノーザンテーストを見出して導入。日本競馬の変革に着手した後、北米一流馬でありながら、ヘイロー系という傍流血統だったために手放されたサンデーサイレンスを導入し、それまで欧州や在来の血を中心に形成されていた日本競馬を劇的にステップアップさせました。まるで異種交配レベルの革命が起きたわけです。(文末注)
◆血統の多様化がなぜ必要なのか
そのサンデーの最高傑作・ディープインパクトの母であるウインドインハーヘアには、紛れもなく英国ステイヤーの血が凝縮されています。北米産の傍流血統で、瞬発力の概念を日本で開花させたサンデーの血に、重厚なスタミナが裏打ちされて航続距離を高めパワーを付与したのは、母のスタミナです。
次に現役の芝世界最強馬で昨年のジャパンCを勝ち、それこそ吉田氏もインタビュー内で「倒したい」としていたカランダガンも同様。父グレンイーグルスは英国長距離の至宝サドラーズウェルズに、北米大種牡馬でスピード型のストームキャットを配合した馬です。
そしてカランダガンの母の父シンダーは、ダンチヒ系の中で異色のステイヤー種牡馬チーフズクラウン(天皇賞春を勝ったマイネルキッツの父でおなじみチーフベアハートの父でもある)に、短距離血統を配合してできたグランドロッジの血を引いています。そこに日本でも昭和50年代から平成初期にかけて数々のステイヤーを輩出したネヴァーベンド系の血の象徴、ミルリーフ系を掛けた配合です。余談ですがカランダガンの母の母父アクラメイションはオセアニアで大成した種牡馬であり、香港でマイルから2000ⅿのレンジにおいて現在無双しているロマンチックウォリアーを出しています。つまりカランダガンは、異なる適性距離の血のブレンド、遠隔の競馬地図の血を邂逅させることで生み出された名馬と言っていいでしょう。
さらに、この春のGⅠレースを勝った馬たちも、多様化の効果を立証したと言えるでしょう。皐月賞をレコード勝ちしたロブチェンの父は、現役時に菊花賞と天皇賞春、2大長距離戦を勝ったワールドプレミア。ディープインパクトにドイツ牝系を配合して生まれた種牡馬でした。そのワールドプレミアに、ダート血統でマイルから2000ⅿベストのストームキャットから生まれながら欧州を席捲したジャイアンツコーズウェイと、北米ダートの大種牡馬アンブライドルズソングの血を持つ母を配合して生まれたのがロブチェンです。
そして、天皇賞春を制したのは、2000ⅿの大阪杯を好時計で勝ってきて、戦前には距離面で厳しいと見られていた(筆者がその代表、馬券も外してしまいましたが)クロワデュノール。父がディープインパクトの全兄ブラックタイドと、日本の短距離王サクラバクシンオーの配合から生まれたキタサンブラックで、そこに欧州のマイルと長距離の血を併存した配合の母を掛け合わせて生まれた馬です。
実はここまでの持論は、5月13日発売の「月刊」・競馬の天才」における筆者の連載ページでも主張したものですが、紙幅の都合がない当Letterと、そして連載締め切り後の事態がさらに裏付けをしてくれたこともあり、ネタが醒めない内にここでも強調することにした次第です。
まさかJRAが今後天皇賞春や菊花賞の距離を変えたりすることはしないとは思うのですが、その一方で、万一そうなったときには日本競馬は弱体化への道を辿り始めることになるのではないかと、筆者は半分本気で危惧しています。距離の長短、芝とダート、パワーと軽み。異なる要素を持った馬を幅広く有し、それぞれの分野で頂点を極められるレース体系こそ、強い馬づくりの根幹であるからです。
注1)ノーザンテーストの導入より前、日高軽種馬組合が英国から輸入したテスコボーイが、テスコガビーやトウショウボーイなどを出したことで日本競馬のスピード化の先駆けというにはふさわしい存在ではありました。ただその血が栄えた時間はとても短く、父系としては現在はサクラバクシンオーを経てビッグアーサーの血に残っている程度です。
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