「凱旋門賞で日本馬が勝つには」
最強クラスが何十年にもわたって出走しながら、惜敗こそあれまだ勝てていない凱旋門賞、どうしたら勝てるのか?勝利に近づくのか?
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なおコメント欄を開放しております。みなさまに伺いたいテーマを文末に記しておりますので、今回も最後までお読みくださると幸いです。
◆そもそも、なぜ凱旋門賞なのか
私が他の競馬ライター諸兄姉に比べて少しでもアドバンテージがあるとしたら、ただダラダラ長く競馬を見続けているというその一点のみであると思うので、のっけから昔話になってしまうことをお許し願いたいのですが、私が競馬に親しみ始めた昭和40年代末期から50年代にかけて、日本の競馬界からほとんど「いざロンシャンへ」というスローガンが聞こえてきた記憶はありません。当時はむしろ、北米競馬の方が日本には身近であり、海外への挑戦と言えばワシントンDCインターナショナルという国際レースが目標でした。
今回本稿を書くにあたって調べ直したところ、JRA創立の祝賀と思われるのですが、1954年にローレルパーク競馬場からこのレースへの招待状が到着。当時の最強馬だったハクリョウに白羽の矢が立ったのですが、体調不良で遠征取りやめ。しかしこれを契機に日本競馬に国際化の意識が芽生え、1958年にアメリカ競馬の視察団が派遣され、そのリサーチを受けて59年から約1年にわたり、当時の最強馬ハクチカラが北米に滞在遠征しました。そして11戦目にワシントンバースデーHで日本馬として初の海外重賞制覇を達成することになります。このあたりはご存じの方も多いでしょう。
さて前述のワシントンDCインターナショナルへの初出走は、1962年のタカマガハラを待つことになります。以来多くの日本馬が遠征しますが、最高着順は1967年スピードシンボリの5着でした。当時は毎年のようにローレルへ向かう日本馬の壮行報道がフジテレビの競馬中継で繰り返されましたが、レースの実況などは行われず、後日に結果だけアナウンサーが読み上げて「今年も残念でしたね。さて次は・・・」というパターンが固定化していたものです。
話を戻して、凱旋門賞と日本競馬との関りは、このスピードシンボリから生まれることになります。もちろん当時から凱旋門賞というレース名は日本のファンにも知られていました。ただリボーを始めとして、もうその名を聴くだけでひれ伏すような歴史的名馬が勝つレースという認識を、おそらく全競馬関係者とファンが持っていたと思われ、日本馬が出走するだけでも大変なこと、ましてや勝つということになると大げさでなく、人類が月へ行くのと同じような(もちろん私は当時の競馬をリアルタイムでは知りませんが、それは70年代も同じ)感覚でした。
しかしスピードシンボリの馬主・和田共弘氏は欧州競馬指向がとても強く、おそらく当時は日本人として最も英仏競馬に精通していた人物だったと思われます。もともと日本競馬は欧州に範を取っていたこともあり、ワシントンDCで歴代日本馬最高着順を取った愛馬を夢の凱旋門賞へ出走させたいと思ったのは当然でしょう。1969年に7月から滞在して英国、フランスと転戦しキングジョージ&QエリザベスS5着、凱旋門賞は11着に終わりましたが、これが日本馬初の凱旋門賞出走となったわけです。
以降、90年代終盤までかなりブランクはありながらも、先日のシンエンペラーまでのべ35頭が挑戦したものの2着(4回)が最高着順。そのうち2回を占めたのがオルフェーヴルで、彼の1回目の出走となった2012年はゴール寸前まで先頭を切っていたものの、気性面の難しさを出してヨレた時に交わされてしまい、日本流にいえばハナ差とアタマ差の中間くらいの差の大惜敗。これがあったからこそ、日本馬にとって凱旋門賞は諦めきれない存在になってしまったとも言えるでしょう。
エルコンドルパサーにしてもナカヤマフェスタにしても小差僅差の負けであり、何か1つの要素がかみ合えば・・・という思いは私も同じです。ただ、いくら差がわずかでも、これだけ重なるのは偶然でなく、一歩の差が実は大きな違いなのかもしれません。芥川龍之介が「天才と凡人の差はわずか1歩を隔てるのみ。ただしそれを理解するには、0と100の中間を1と考える超数学を知らねばならぬ(要旨)」と書いたように・・・。
(注・厳密にいうとエルコンドルパサーやシンエンペラーは日本馬でなく外国産馬のため日本調教馬と書くべきですが、ここでは日本馬で統一します)
◆検証めいたことその1・ローテーション
ここからは、競馬ライターの末席を汚す者として、貴重な挑戦をしてきた多くの関係者への失礼無礼は承知の上で、凱旋門賞勝利へ近づくための後出し考察を加えてみます。すでに多数の競馬マスコミやファンが指摘していることと重複する部分も多いことはおことわりしておきます。
まずはすぐに思いつくところでローテーションです。日本馬の連対馬のすべてに共通しているのは「本番前にパリロンシャン競馬場を経験していたこと」です。今年のシンエンペラーは欧州滞在こそ2ヶ月近くに及びましたが、前哨戦にアイルランドのレースを選んだので、パリロンシャンでは凱旋門賞当日が初の出走でした。
ご存じのように、舞台となるパリロンシャン競馬場(シャンティイで代替した年もあります)は、スタート後しばらくすると長い登り坂に入り、3コーナーで頂点に達すると、そこからは下り坂。すっかり有名になったフォルスストレートと呼ばれる直線区間を経てカーブした後、東京競馬場とほぼ同じ530mの本当の直線が待っていて、この直線はほぼ平坦となっています。3コーナーまで登ってその後下って長めの平坦直線というのは、単純比較では京都の外回りコースに似ています。
ただ、最も高い地点と低い地点の高低差は10mもあって、これは日本の競馬場で高低差最大である中山の2倍近い数値になります。一気に急坂10mを登るわけではなくあくまで高低差ですが、スタートしてからゴールまでの2分30数秒の間にこの差をこなすのは、日本馬にとっては未知のことであり、一度はコース経験をしておいた方がいいという声が出るのも納得できるところです。おことわりしておきますが、そんなことは百も承知で今回の陣営はアイルランドを選択したわけで、別に責めているわけではありません。
◆検証めいたことその2・馬場
初秋のパリはレイニーシーズン(英語で言うのもなんですが)。凱旋門賞は道悪になることも多いです。欧州の道悪は日本のそれとはレベルが違うほど悪化する(路盤の排水機能が日本ほど高くないこと、洋芝が深いために一度水を含むとなかなか抜けないこと、土壌の質が違うことなどが理由)ため、これが長年日本馬を苦しめてきたのは、もうファンに知れ渡っていることです。特におととし、ドウデュースやタイトルホルダーが大敗した時は、直前に想定外の大雨が降り、一気に悪化したことが最大の不運と言われました。
もちろん、そうした馬場の質の違いも原因の1つではあるでしょう。そのあたりも踏まえて、今年は斤量の軽くなる3歳馬で、かつ全兄(父母が全く同じ兄)が凱旋門賞を勝ったソットサスという血統のシンエンペラーを送り込んだわけです。しかし全く為す術がありませんでした。体調面はベストだったとのことなので、血統の字面だけではコースや馬場を克服できなかったということになります。
ここで筆者が思い出したのは、13年前に小島茂之調教師にインタビューした時の話です。小島調教師は若手調教師時代に研修で英愛に長期滞在したのですが、その時の体験として、現地の馬は調教場に野生動物が出没するような自然の中でトレーニングされているのでメンタルは強くなるし、コースの手入れもほとんどしないので、速い時計は出せないけどパワーや体幹はその分強くなるという主旨のことを語って下さいました。日本では、そんな危ない環境でトレーニングするということは考えられないのですが、こうした「野生児たち」と渡り合わなければならないのもまた現実なのです。
そして、今回参考にした記事の中で、現地に半年以上も滞在したエルコンドルパサー陣営のこんな話も目にしました。
「エルコンドルパサーほどの馬でも、こちらでトレーニングを始めた当初は馬が馬場の違いに戸惑っていて、かなり疲労していた。しかし時間が経つにつれ、少しずつ対応していっているのが分かった。最初のフランスでの実戦だったイスパーン賞(2着)のあとは、日本での走りとは、まるでフォームが変わっていた(以上要旨)」
もちろん、エルコンドルパサーほどの馬だからこそ対応できたのかもしれないし、どの馬もそんなに都合よくフォームが変わるというものでもないとは思いますが、小島調教師の話とも照らし合わせると、やはり時間をかけて環境に対応させていくというのは大きなポイントのように思われてなりません。なおエルコンドルパサーが2着となった年の凱旋門賞は、一昨年同様のかなりの道悪でした。
◆検証めいたことその3・斤量
凱旋門賞の斤量規定は、牝馬の3歳が55キロ、牝馬の4歳以上は58キロ、牡馬の3歳は56.5キロ、4歳以上は59.5キロを背負うのが現行です。
この斤量は、日本馬の場合、3歳なら日本のクラシックレースと同じか、むしろ少し軽いくらい。ただ4歳以上の場合は、日本のGⅠより牡・牝共に2キロ程度重くなります。
どの馬も同じ条件なのだから、斤量は言い訳にならないという声も聞きますが、欧州の馬たちにとっては、凱旋門賞での斤量規定はかなり楽なものなのです。なぜなら凱旋門賞以外では、60キロ以上を平気でしばしば背負っているから。今年の覇者、3歳牝馬のブルーストッキングは、なんと6月にアイルランドで62.5キロ!を背負って勝っているのです。日本では絶対にありえません。
いくら凱旋門賞での斤量は条件が同じといっても、相手は遥かに重い斤量に慣れていて、当日にかなり軽くなるというケースがほとんど。例えとしては間違えているかもしれませんが、普段ジムで100キロ級のバーベルでトレーニングしていて、本番では80キロを持ち上げればいいというのと、いつも70キロから80キロでトレーニングしていて、本番も同じ80キロを持ち上げるというのとでは、身体の感覚が段違いであることは想像に難くありません。(※この点を指摘する人はあまりいないので、敢えて妙な例えですが指摘しておきます)
前哨戦を使えば、少なくとも1度は、日本馬もこうした重い斤量を経験することができます。もちろん故障のリスクや、疲労による反動はあると思いますが、日本のように速い時計のレースにはならないし、また長期滞在により少し慣らしていけば、軽くなる本番で回答を出せる可能性が高まるのも、無理な想像ではないように思います。
なお騎手についてはもう技量に差がないことは歴然としていますし、遠征のノウハウも昔とは比べ物にならないほど蓄積されています。そして強い日本馬が欧州勢に包囲網を敷かれて力を出し切れないなどのアウェイにまつわる2次的な要素もありますが、そこまで話を広げると収まらないので今回は割愛します。また血統面についても語るとそれだけでかなりの分量になってしまうので、ここも割愛します。ただ、すでにお気づきの方が多いように、ステイゴールド系の馬たちがなぜ何度も上位に来ているのかは、決して偶然ではないでしょう。凱旋門賞だけでなく海外競馬に強いこの系統の特質については、またいつか改めて書いてみたいと思います。
◆早急な結論めいたこと
ということで、ざっくりと筆者なりの考察を加えてきました。そろそろまとめてみましょう。
日本競馬はスピードを追求し、徹底した馬場管理を行うことで、見ていて世界で最も面白い競馬、醍醐味ある競馬を提供していますが、凱旋門賞を勝つためのベクトルは、むしろそれとは逆の方向を指していると思えてなりません。
となれば、もちろん欧州血統の組成が強い馬を使うことは前提として、早めに現地へ赴き、調教とレースを重ねることにより、日本競馬で染みついたものを極端に言えば一度捨てて、ロンシャンモードにチューンアップするのが一番の方法なのではないでしょうか。もちろんそのためには資金面や人的な面の多大なバックアップが必要なので、Web上で勝手気ままに書いたとおりにいくほど甘くはないのですが・・・。
むしろ私は、度重なる失敗により、ホースマンたちが必要以上に自分たちの努力や決断をネガティヴに反省してほしくないし、ファンには日本競馬の質を疑ってほしくない、競馬の質は国により違うので、そこへどうアジャストしていくかの問題だということを敢えて強調したいだけなのです。反対に、欧州の名だたる馬たちだって、日本にやってきてスピード対応できずに消えてしまう例だって多いわけですから・・・。
凱旋門賞はいろいろな意味で特殊なレースであり、いまや伝統だけが最大の看板になっているという人もいるくらいです。ただ、ここまで壁に跳ね返されたからには、一度は勝っておかないと日本の全競馬関係者とファンも収まりが付かないのは事実でしょう。今回の矢作調教師の痛恨の表情を見て、私なりに無い知恵を絞りたくなり、今回は稚拙な提案をしてみた次第ですが、優秀な日本のホースマンによる来秋へ向けた計画は、もう密かに始まっているのかもしれません・・・・いや、始まっているに違いないですね。
◆皆さんのご意見読ませてください!
*凱旋門賞に関する関するご意見
*このメルマガで取り上げてほしいテーマ
以上について(どちらかでも結構です)、コメントを寄せてくださると嬉しいです。よろしくお願い致します。
なお、ここまでお寄せくださったコメントについて、そのうちまとめてご返事させていただくかもしれません。その際は非公開でお寄せいただいたものについては、お名前を出さずに取り上げます。
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